🌸💧 第24話 高松宮記念2025(GⅠ)──三度目の春、三度目の涙
🌑① 自信喪失の影を抱えて
去年、一昨年の敗北。
胸の奥に深い影が残る。
中京競馬場に向かう輸送車の窓に、
ぼんやりと春の空が映る。
でも、クレアの胸の中は、
春とは程遠い色をしていた。
2023年、高松宮記念──クビ差。
2024年、高松宮記念──アタマ差。
どちらも、
「勝てたかもしれない」
「勝てるはずだった」
そう思えるだけの走りだった。
だからこそ、
その二つの敗北は、
ただの“結果”ではなく、
“自信を削る刃”になっていた。
「……わたし、
本当に、GⅠにふさわしいのかな……」
その小さな問いが、
胸の奥で、冷たい影となって沈んでいた。
🌫️② 勝てるのか、という迷い
勝ちたい。
でも、怖い。
「こんどこそ、勝ちたい」
その気持ちは、
何度折れても、何度でも立ち上がる。
でも同時に、
「また届かなかったらどうしよう」
その恐怖も、
何度でも蘇ってくる。
高松宮記念という名前を聞くだけで、
泥の匂いと、
届かなかった影と、
アタマ差・クビ差の数字が、
一気に胸に押し寄せる。
「……また、
あの“すこしだけ足りない”痛みが来るのかな……」
勝ちたい。
でも、怖い。
その二つが、
同じ重さで胸の中に居座っていた。
🔥③ ルメールの静かな闘志
新しい騎手。
その静かな闘志が、クレアに伝わる。
パドックで手綱を取るのは、
クリストフ・ルメール。
その目は、
静かで、
穏やかで、
でも、どこか燃えていた。
「クレア。
きょうは、しっかり走ろう」
声は柔らかい。
でも、その奥にあるものは、
“勝ちたい”という強い意志だった。
手綱を通して伝わる、
無駄のない、迷いのない感触。
“このひとは、
わたしを“ちゃんと勝たせよう”としてくれている……”
その感覚が、
クレアの胸に、
小さな灯りをともす。
それでも、
胸の奥の影は、
まだ完全には消えなかった。
⚡④ サトノレーヴの気配が鋭い
強い馬の気配は、風より鋭い。
パドックの向こう側。
ひときわ大きな馬体が、
静かに、しかし力強く歩いている。
サトノレーヴ。
その一歩ごとに、
芝の上の空気が、
少しずつ張り詰めていく。
「サトノレーヴ、気配えぐいな」
「ここは主役やろ」
「クレアとどっちや……?」
観客のざわめきが、
サトノレーヴの周りだけ、
少し違う温度を帯びていた。
“つよい……
このまえ、札幌で見たときよりも、
もっと、つよい風をまとってる……”
強い馬の気配は、
風より鋭く、
胸の奥まで刺さってくる。
クレアは、
その鋭さを、
はっきりと感じ取っていた。
🌤️⑤ 春の光が胸を刺す
春の光は優しいはずなのに、
今日は痛い。
本馬場入場。
中京の芝の上に立つと、
春の光が、馬体を包み込む。
本来なら、
冬を越えたあとの春の光は、
柔らかくて、
優しくて、
新しい季節の始まりを告げるもののはずだった。
でも、
クレアの胸には、
その光が、少し痛く感じられた。
「……まぶしい……」
まぶしさは、
希望の色でもあり、
過去の痛みを照らし出す色でもある。
三度目の春。
三度目の高松宮記念。
その光は、
“ここで決めなければいけない”という
残酷な現実まで、
はっきりと浮かび上がらせていた。
👁️⑥ パドックの重さが心を試す
観客の視線が刺さる。
心が震える。
スタンドからの視線が、
いつもより重く感じられた。
「クレア、今年こそや!」
「もうそろそろGⅠ獲らせてやりたいな」
「三度目の正直、見せてくれ!」
その声は、
応援であり、
祈りであり、
同時に“期待”という重さでもあった。
視線が刺さる。
言葉が刺さる。
沈黙さえも、刺さる。
“みんな、
わたしに“勝ってほしい”って思ってくれてる……”
それが嬉しくて、
それが苦しかった。
心が、
小さく震える。
🔔⑦ ゲート裏で「もう一度だけ信じたい」
その言葉が胸に響く。
ゲート裏。
金属音。
係員の声。
馬たちの荒い息。
世界が、
一気に狭くなる場所。
クレアの心臓が、
少しだけ速くなる。
ルメールが、
そっと首筋を撫でる。
「クレア。
もう一度だけ、自分を信じてみよう」
“もう一度だけ”
その言葉が、
クレアの胸に深く刺さる。
「……もういちど、だけ……」
自分を信じることが、
こんなにも怖くなる日が来るなんて、
昔のクレアは知らなかった。
それでも──
もう一度だけ、
信じてみようと思った。
💨⑧ 手応えはある
道中の手応えは悪くない。
──スタート。
重でも不良でもない、
それでも少し時計のかかる春の中京。
クレアは、
スムーズにゲートを出て、
中団やや前めのポジションを取る。
「……うごける……」
道中の手応えは、
決して悪くなかった。
ルメールの手綱は静かで、
無駄な動きがない。
サトノレーヴの位置も、
前を行く馬たちの脚色も、
すべてが視界に入っている。
「……きょうは、
ちゃんと、たたかえてる……」
その感覚が、
クレアの胸に、
小さな希望を灯した。
🌪️⑨ 伸びる、でも足りない
直線で伸びる。
でも、前との差が縮まらない。
4コーナー。
外に持ち出されるクレア。
直線に向いた瞬間、
ルメールの手が、
静かに動く。
「さあ、クレア」
クレアは、
脚を伸ばした。
風を掴む。
芝を蹴る。
体は前に出ていく。
「……のびてる……!」
確かに、
脚は伸びていた。
でも──
前も、伸びていた。
サトノレーヴ。
もう一頭、もう二頭。
前を行く影が、
同じように、
あるいはそれ以上に伸びていた。
“ちかづいてるのに、
ちぢまりきらない……”
その“わずかな差”が、
どこまでも遠く感じられた。
💔⑩ また届かない現実
三度目の春。
三度目の涙。
ゴール板を駆け抜けたあと、
掲示板に灯る数字。
1着の名前。
2着の名前。
そして、その下に並ぶクレアの名前。
また、届かなかった。
「……また……」
三度目の春。
三度目の高松宮記念。
三度目の“あと少し”。
涙は、
もう簡単には流れなかった。
代わりに、
胸の奥が、
ぎゅっと締めつけられる。
“こんなに走っても、
こんなに願っても、
まだ、届かないんだ……”
その現実だけが、
はっきりと突きつけられた。
🫧⑪ 心が折れそうになる
「どうして勝てないの?」
その問いが胸を締めつける。
検量室の前。
ルメールの声が聞こえる。
「クレアは、
ベストを尽くしてくれました」
それは、
嘘じゃない。
クレアも、
自分がサボったとは思っていない。
全力で走った。
全力で伸びた。
それでも──
勝てない。
「どうして勝てないの?」
その問いが、
胸の奥で、
何度も何度も反響する。
答えは出ない。
だからこそ、
心が折れそうになる。
🕯️⑫ 「どうして勝てないの」
その言葉は、涙より重い。
「どうして勝てないの」
その言葉は、
もはや“問い”ではなく、
“呪文”のようになっていた。
口にするたびに、
胸の奥が、
少しずつ冷えていく。
涙は、
もう簡単には出てこない。
代わりに、
心のどこかが、
静かに乾いていく。
“なにかが、
たりないんだろうな……”
でも、
その“なにか”が、
どうしても見つからない。
その重さは、
どんな泥よりも、
どんな不利よりも、
ずっと重かった。
🍃⑬ 春の風が優しい
風がクレアの頬を撫でる。
慰めるように。
レース後の中京。
スタンドのざわめきが、
少しずつ遠ざかっていく。
春の風が、
クレアの頬をそっと撫でた。
「……やさしい……」
その風は、
まるで「よく頑張ったね」と
言ってくれているみたいだった。
でも、
どれだけ風が優しくても、
結果は変わらない。
“また、勝てなかった”
その事実だけが、
静かに胸に残る。
それでも、
風は吹く。
慰めるように、
包み込むように。
🌑⑭ 切なさの頂点が胸を刺す
敗北の痛みが、最も深くなる。
三度目の春。
三度目の涙。
その積み重ねが、
クレアの中で、
“切なさの頂点”を形作っていた。
高松宮記念というレースは、
もはや“ただのGⅠ”ではなかった。
勝てない悔しさ。
届かない現実。
それでも挑み続けた時間。
その全部が折り重なって、
今日の敗北を、
これまでで一番深い痛みに変えていた。
「……いたい……」
体のどこかじゃない。
心の、
一番奥の場所が、
静かに、でもはっきりと痛んでいた。
🌓⑮ 終わりの気配が静かに近づく
この敗北は、ただの敗北じゃない。
“終わりの足音”だった。
この敗北は、
ただの一敗ではなかった。
どこかで、
クレア自身も、
それを感じ取っていた。
「……もしかしたら、
もう、そんなに何度も、
ここには戻ってこられないのかもしれない……」
高松宮記念という舞台に、
何度も挑み続ける時間が、
永遠ではないことを、
うすうす感じていた。
“終わりの足音”は、
大きな音を立ててやってくるわけじゃない。
今日のように、
静かに、
そっと近づいてくる。
三度目の春。
三度目の涙。
その奥で、
物語の“次の章”を告げる気配が、
静かに息を潜めていた。


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