🍂⚡ 第26話 スプリンターズS2025(GⅠ)──勝てない自分と向き合う秋
🍁🌫️ ① 迷いを抱えたまま挑む秋
三度の高松宮記念敗北。
心の奥に深い影が残る。
中山競馬場に向かう輸送車の窓に、
秋の空が淡く揺れて映る。
でも、クレアの胸の中には、
春の泥と、
届かなかったゴール板の影が、
まだはっきりと残っていた。
2023年、2024年、2025年。
三度挑んで、三度敗れた高松宮記念。
「……わたし、
本当にGⅠにふさわしいのかな……」
その問いは、
もう何度も胸の中で繰り返されてきた。
秋になっても、
その影は消えないまま、
静かに、しかし確実に、クレアの心を曇らせていた。
🌑🍂 ② 終わりの影が胸に宿る
「あと何回走れるんだろう」
そんな思いが胸をよぎる。
6歳の秋。
かつて“若さ”と呼ばれていたものは、
もうとっくに過ぎ去っている。
「クレア、よう走ってきたよな」
「そろそろラストが見えてきてもおかしくない歳やし」
「でも、もう一回だけGⅠ勝たせてやりたいな……」
スタンドから聞こえる声は、
応援であり、
同時に“終わり”を意識したものでもあった。
「……あと、なんかい、
こうしてGⅠをはしれるんだろう……」
その思いが、
ふと胸をよぎる。
すぐに打ち消そうとする。
でも、一度浮かんだ“終わり”の影は、
簡単には消えてくれなかった。
🔥💭 ③ ルメールの集中が伝わる
静かな闘志。
その集中がクレアに伝わる。
パドック。
クレアの手綱を取るのは、
前走に続いてクリストフ・ルメール。
その表情は、
いつも通り穏やかで、
いつも通り静かだった。
けれど、
その目の奥には、
はっきりとした“闘志”が宿っていた。
「クレア。
きょうも、ベストを尽くそう」
声は柔らかい。
でも、
その一言には、
迷いのない集中が込められていた。
手綱を通して伝わる、
ぶれないリズム。
無駄のない合図。
“このひとは、
まだ、わたしのことを“戦える馬”として見てくれている……”
その感覚が、
クレアの胸に、
小さな灯りをともした。
⚡👁️ ④ ウインカーネリアンの気配が鋭い
強い馬の気配は、風より鋭い。
パドックの向こう側。
ひときわ存在感のある栗毛が、
堂々と歩いていた。
ウインカーネリアン。
本来はマイル前後で名を馳せた馬が、
スプリント戦線に姿を現した。
「ウインカーネリアン、気配えぐいな」
「8歳やのに、まだこんなに張りがあるんか」
「前に行って、そのまま押し切りそうやな……」
その声が、
クレアの耳にも届く。
“つよい風をまとってる……”
強い馬の気配は、
風より鋭く、
胸の奥まで刺さってくる。
クレアは、
その鋭さを、
はっきりと感じ取っていた。
🍃❄️ ⑤ 秋の風が乾いている
夏とは違う、乾いた風。
胸が少し痛い。
本馬場入場。
中山の芝の上に立つと、
秋の風が、クレアのたてがみを揺らした。
夏の湿った風とは違う、
どこか乾いた、
澄んだ風。
「……すこし、
つめたい……」
その冷たさは、
体を震わせるほどではない。
でも、
胸の奥に触れてくるような、
静かな痛みを伴っていた。
夏の疲れ。
春の敗北。
そして、近づきつつある“終わり”の気配。
それら全部を、
秋の風が、
そっと撫でていく。
🔔🌫️ ⑥ ゲート裏で心が震える
金属音。
深呼吸。
世界が一瞬止まる。
ゲート裏。
金属の軋む音。
係員の短い指示。
馬たちの荒い息。
世界が、
一気に狭くなる場所。
クレアの心臓が、
少しだけ速くなる。
「クレア。
リラックスして、でも、しっかり走ろう」
ルメールの声は、
いつも通り落ち着いていた。
でも、
クレアの胸の奥では、
別の声が響いていた。
「……これが、
さいごのスプリンターズSになるかもしれない……」
その思いが、
心を震わせる。
深呼吸。
一度、
大きく息を吸って、吐く。
世界が一瞬止まり、
次の瞬間、
ゲートインの合図が訪れた。
💨⚡ ⑦ 速い流れに飛び込む
スタートから速い。
速さの渦に飛び込む。
──スタート。
16頭が一斉に飛び出す。
前へ、前へと殺到するスプリンターたち。
ウインカーネリアン、
ジューンブレア、
ピューロマジック。
前に行く馬たちの脚音が、
地面を震わせる。
クレアも、
その速さの渦の中に身を投じた。
「……はやい……」
でも、
この速さは知っている。
何度も、
この舞台で味わってきた、
GⅠスプリントの流れ。
ルメールの手綱は静かで、
クレアの脚は、
その速さにしっかりとついていっていた。
🌪️📉 ⑧ 伸びる、でも足りない
クレアは伸びる。
でも、前との差が縮まらない。
4コーナー。
外めに持ち出されるクレア。
直線に向いた瞬間、
ルメールの手が、
静かに動く。
「さあ、クレア」
クレアは、
脚を伸ばした。
風を掴む。
芝を蹴る。
体は前に出ていく。
「……のびてる……!」
確かに、
脚は伸びていた。
でも──
前も、伸びていた。
ウインカーネリアン。
ジューンブレア。
前を行く二頭の影が、
同じように、
あるいはそれ以上に伸びていた。
“ちかづいてるのに、
ちぢまりきらない……”
その“わずかな差”が、
どこまでも遠く感じられた。
💔🥉 ⑨ また届かない現実
あと少し。
その“少し”が遠い。
ゴール板を駆け抜けたあと、
掲示板に灯る数字。
1着、ウインカーネリアン。
2着、ジューンブレア。
そして、その下に並ぶ、ナムラクレアの名前。
着差は、
1馬身半。
決して大きな差ではない。
でも、
“勝負を分けるには十分な差”だった。
「……また、“あとすこし”……」
高松宮記念でも、
スプリンターズSでも、
何度も見てきた光景。
届きそうで、届かない。
その“少し”が、
いつの間にか、
とてつもなく遠いものに思えてくる。
🫧💧 ⑩ 静かな涙が胸を濡らす
涙は見せない。
でも、心は泣いている。
検量室の前。
ルメールは、
いつも通り淡々とコメントを残す。
「クレアは、
とてもいい脚を使ってくれました。
でも、今日は前が強かったです」
それは、
事実だった。
クレアは、
自分がサボったとは思っていない。
全力で走った。
全力で伸びた。
それでも──
勝てない。
「……また、まけた……」
涙は、
もう簡単には流れない。
代わりに、
胸の奥が、
静かに、じわりと濡れていくような感覚だけが残る。
誰にも見えない場所で、
心だけが、
そっと泣いていた。
🕯️💭 ⑪ 「わたしは弱いの?」
その問いが、胸を刺す。
「わたしは弱いの?」
その問いが、
ふと胸に浮かぶ。
成績だけを見れば、
決して“弱い馬”ではない。
GⅠで何度も掲示板に載り、
常に上位争いをしてきた。
でも──
“勝てていない”。
「つよいのに、
かてないのは、
ほんとうに“つよい”っていえるのかな……」
その問いは、
誰かに向けたものではなく、
クレア自身に向けられたものだった。
答えは出ない。
だからこそ、
その一言が、
鋭い棘のように胸に刺さり続ける。
🌤️🌫️ ⑫ 秋の光が淡く揺れる
光が弱い。
影が濃い。
レース後の中山。
スタンドのざわめきが、
少しずつ遠ざかっていく。
秋の光は、
夏のように強くはない。
どこか淡く、
揺れるように、
馬場を照らしていた。
その光の中で、
クレアの影は、
はっきりと地面に落ちていた。
光が弱いからこそ、
影は濃く見える。
GⅠで勝てない時間が積み重なってできた影は、
もう簡単には薄くならないほど、
深く、濃くなっていた。
🌙🌓 ⑬ ラストランへ向かう影
次の春。
それが最後になるかもしれない。
引き上げていく途中、
クレアは、
ふと春のことを思い浮かべていた。
「……つぎのはる……
たかまつのみやきねん……」
それは、
何度も挑んで、
何度も届かなかった場所。
「……もしかしたら、
つぎが、さいごになるのかもしれない……」
その予感は、
確かな言葉にはならないまま、
胸の奥に静かに沈んでいく。
ラストラン。
その言葉は、
まだ誰の口からも出ていない。
それでも──
次の春へ向かう影は、
これまでとは違う色を帯びていた。
“さいごになるかもしれないはるへ、
それでも、もういちどだけ──”
クレアは、
濃くなった影を連れたまま、
静かに前を向いた。


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